コンテンツへスキップ

MARUASA:誠実な技術が形にする、誰かのための世界一

丸朝製陶所

〒507-0811 岐阜県多治見市星ケ台3丁目8

創業1916年。丸朝製陶所は、100年以上にわたり岐阜県多治見市でカップ&ソーサーを作り続けてきた老舗メーカーです。国内外の名だたるコーヒーブランドやアパレルブランドのマグカップを手がけ、その品質は世界中で愛されています。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。時代の波に揉まれながらも「カップをつくる」という一点において研鑽を積み、顧客の想いを形にするOEM(受託製造)のプロフェッショナルとして、多治見の山の上から世界へ挑戦を続けています。

www.maruasa.jp/

太古の湖が育んだ奇跡の土 /MIRACLE CLAY FROM AN ANCIENT LAKE

丸朝製陶所のある多治見市周辺は、約600万年前には「東海湖」と呼ばれる巨大な湖の底でした。周囲の火山から流れ出た花崗岩質の岩石が、長い時を経て風化し、水に流され、湖底に堆積することで、世界でも類を見ない良質な粘土層が形成されました。不純物が少なく、白く焼き上がるこの「木節粘土(きぶしねんど)」の存在こそが、この地を世界有数の陶磁器産地たらしめた最大の理由です。
かつてこの地域は、その豊富な土壌資源を活かし、陶磁器だけでなくタイル産業でも日本一の産地として栄えました。高度経済成長期、多くの窯元が収益性の高いタイル製造や不動産業へ転向、あるいは安価な労働力を求めて海外へ拠点を移す中、丸朝製陶所は不便な山の上に工場があったため、実直に焼き物作りを続ける道を選びました。結果として、国内の工場が激減する中、数少ない「量産ができる技術と設備」を残したメーカーとして、その価値を再定義することになったのです

「好きではなかった」からこその客観性 /OBJECTIVITY BORN FROM DISTANCE

「家業を継ぐつもりはなく、むしろ焼き物が嫌いでした」。4代目社長の松原圭士郎氏はそう語ります。陶磁器の町に生まれながら、専門学校ではなく一般の大学へ進学し、一度は町を離れようとさえしました。しかし、廃業の危機に瀕した家業を目の当たりにし、再建を決意します。 焼き物への執着や「こうあるべき」という作家的な自我を持たなかったことは、逆に大きな武器となりました。作りたいものを作るのではなく、「お客様が作りたいものを、どう実現するか」に徹すること。ゼロから現場に入り、徹底的に効率化と品質改善(5S)に取り組んだ13年間の経験と、固定観念のない柔軟な視点が、クライアントの要望を忠実に再現する現在の丸朝のスタイルを確立させました。

時代を生き抜く窯の決断 /EVOLUTION OF THE KILN

丸朝製陶所の工場には、美濃地方でも最大級となる20立米の「全自動ファイバーシャトルキルン」が鎮座しています。かつて、この地には50メートルにも及ぶ巨大な「トンネル窯」がありました。24時間火を絶やさず、大量生産を続けることが正義とされた時代の象徴です。 しかし、需要の変化を予見した先代(3代目)は、1991年、会社の命運をかけてトンネル窯の廃棄を決断。必要な分だけを効率よく焼成できる現在のシャトル窯へと切り替えました。多くのメーカーが規模の維持と需要減のギャップに苦しみ廃業する中、この「窯のダウンサイジング」という英断があったからこそ、多品種小ロットが求められる現代において、柔軟かつダイナミックな製造が可能となっています。

黒子として世界一を目指す /THE WORLD’S BEST OEM PARTNER

丸朝製陶所の名が表に出ることは稀です。しかし、裏印のないそのカップには、100年の歴史と、地質学的な奇跡、そして職人たちの試行錯誤が詰まっています。自社ブランドを持たず、あくまで「誰かのために作る」ことに徹する。その姿勢こそが、世界中のブランドから指名され続ける理由です。 「日本一ではなく、世界一のカップメーカーになる」。かつて焼き物を避けていた社長が掲げた目標は、今、海を越えて多くの人々の手に渡るカップとして結実しています。使う人がふと手にしたその重みや口当たりに、多治見の土の記憶と、作り手の静かな情熱を感じていただけることでしょう。

縁をつくるギフト

贈り物選びは双円